この10年で歩めた距離
東日本大震災から10年
東日本大震災で犠牲になられた方には改めてお悔やみを申し上げます
10年前のこの日,私は現在と同じ場所にある鑑定事務所内で筆跡鑑定の作業を行っていました。この日は曇り空で寒い日だったと記憶しています。午後の鑑定作業をはじめ,2時間近くたった14:46,船に乗った時のような体全体の揺れを感じ,それが地震だと気づくと同じタイミングで家内が「地震!」と声を発しました。耐震対策を施しているので恐怖心は少なかったのですが,それでも,未知の揺れの大きさと家屋全体が唸るような聞いたことのない音をまえに,揺れが大きくなりはしないかと,身をひそめていました。
今にして思えば,このときを境に日常が変わったのでしょう。
揺れが収まったあと,家内とお互いの無事を確認しあいながらテレビをつけると,騒然とした様子が放送されていて,どこからか火災が発生したようだとカメラが向けられていました。外から人の声が聞こえたので窓を開けると,近隣の方々が外に出ていて声を掛け合っている様子が見えましたが,そのときも電線が上下に揺れていたのを覚えていますので余震のさなかだったのでしょう。何度も地震を体験していましたが初めて見る光景でした。その後,家内は子供を学校へ迎えに行くべきか否かを近所の保護者と協議していたようですが,余震が続くことと停電が発生しているという情報があったこと,夕方が近いこともあって迎えに行きました。
私は,テレビをつけていても不確かな情報が流れているだけだと思ったのでスイッチを切り,仕事に戻りました。そのあと家内と子供が学校から戻り家族全員が無事を確認できたのですが,あちこちに連絡を取ろうとしても不通の状態が続き自分たち以外がどうなっているのかを知ることはできませんでした。私はその日の予定通り鑑定作業を行い,夜になってテレビをつけてみると黒色の中に赤や黄色が混じった画面が映し出されていて,火災が起きていることやそれが震災地であることを知りました。その日は情報を集めようと深夜までテレビをつけていましたが,暗闇に覆われた画面から得られる情報は皆無でした。私の住む地域では停電や断水はなく避難所も設営されませんでしたが,同じ横浜市内でも停電や断水が発生した地域があることは家内の実家からの連絡により知りました。
それから間を置かず原子力発電所での惨事が起きました。それまでの歩みに「NO」が突き付けられた瞬間だったと思います。地震や津波だけなく放射能からも避難しなければならなくなってしまいました。天災と人災の複合災害です。
本日で10年がたちますが日本各地では東日本大震災以降も大地震や水害が発生しています。いつになったら日本は「被災地」から脱却できるのでしょうか。東日本大震災の避難者はいまだ41,000人もいらっしゃるそうです。
日本はこの10年でどのくらい前に進むことができたのでしょうか。
筆跡鑑定と印章鑑定の研究用試料の作成:164回目
おかげさまで筆跡鑑定や印章鑑定,赤外線調査のご依頼をたくさんいただいております。現時点でのご予約状況は次の通りとなっています。
通常依頼の最後尾は6月中旬です。特急依頼の最後尾は4月中旬となっております。
鋭意,鑑定作業を行っております都合上,本日のブログもここまでで終了とさせていただきます。
最後までお読みいただきありがとうございます。
次のブログ更新まで,あなたと私に良い風が吹きますように。